9.11
あれから5年が経ちますね。
アメリカの同時多発テロがあった時、皆さんは何をしてましたか?
5年前と言えば、大学1年。
俺は、あの日名古屋から日帰りの出張で東京に来ていた親父と新宿で食事をしてました。
名古屋に戻らなければならない親父とは、21時過ぎに別れ、帰宅。
ニュースステーションの画面を見て、何が何だかわからなかった。
まだ帰宅途中の親父に「何かあったみたいだよ!!!」みたいなメールをした覚えがある。
あれだけの衝撃的な出来事だっただけに、あの時の記憶は鮮明に蘇る。
直接的にも、間接的にもあのテロから何か被害を受けた訳ではない。
でも、大学1年、つまり東京に来て1年目の俺は、ものすごい恐怖心を感じずにはいられなかった。
日本の首都であり、いろいろな機能が集まる東京という街も、いつか標的になるんじゃないか?
あの瞬間、そんなことを思った。
その1年後、ちょうど9.11をまたぐようにして、9月7日から3週間、アメリカの西海岸・カリフォルニア州のノースリッジという田舎町にホームステイに行った。
大学の付属の語学学校に入ったため、9月11日の大学構内の様子を見ることができた。
大学構内では、学生が広場に集い、1年前にあった出来事に思いを馳せ、それぞれが自分の意見を皆の前で主張しあっていた。
一人が意見を言うたびに、周りの者は同調し盛り上がる。
話している内容までは聞き取ることはできなかったが、皆テロに屈しない前向きな姿勢・意見を主張していたように思う。
そんな集まりを、構内のいたるところで見つけることができた。
あの日、アメリカは間違いなく結束していた。
『Remember 9.11!』
そんな掛け声も飛び交っていた。
あれから5年目の今日。
アメリカ各地の様子はどう変わったのだろう。
できることなら、またあの大学構内に行って、様子を見てみたい。
テロ後のイラク戦争を経て、アメリカ人の意見はどう変化しているのだろうか?
行ったことに対する清算はすべきだろう。
少なからず、何の関係もないイラクの一般国民の何十、何百、何千、何万人かは被害に遭っているのだから。
靖国神社参拝問題でもそうだが、あれだけ韓国が中国が騒ぎ立てるのも無理はない。
個人レベルで考えれば、自分の祖父母が殺されている訳で、感情的になって当然ではないだろうか?
過去に行ったことに対する清算。
それは、まず謝ること。
それをしなければ、冷静な議論は始まらないと思う。
個人レベルなら簡単だが、国レベルになると問題は単純ではない。
しかし、国は個の集合体だ。
一人一人に相手を思いやる気持ちをあれば、いずれ問題は収束していくのではないか。
9.11を迎えるごとに『Remember 9.11!』ではなく、前進してもらいたいものだ!
何だか、支離滅裂になってしまった。
収集が付かなくなる前に、この辺で終わりましょう。
5時に起き、外が雨だったので、今日はBlogを書いてみた。