始発電車

今朝(12月20日の朝)は、4時前に起きて4時35分の始発電車に乗って仕事に向かった。
そんなに早く起きて行動する必要は、全くない。
柏で9時から仕事だったため、8時40分ぐらいに勤務地近くの駅に着けば良いのだが、着いたのは6時20分頃。
まだ、朝日は昇っていなかった。


そこから勤務地近くのドトールに入り、約2時間強、自由な時間だ。
仕事の報告書を書き、出勤簿を書き、実はこの記事もそのドトールで書いたもの。
そして、読書。


朝早く起きるということに対して、ほぼ自然にできるようになってきた。
もちろん、長く寝る日もあるし、寝坊してしまうこともあるのだが・・・(苦笑)
しかし、平均して早起きになってきたのは事実。
この習慣は、大学院を修了して完全に社会人になっても続けていきたいと思っている。


朝早く起きることで、一日が長く感じる。
同じ24時間。
いや、起きている時間を仮に18時間だとしよう。
夜23時に寝て朝5時に起きるのと、夜2(1)時に寝て朝8(7)時に起きる。
同じ24時間でも、前者の方が間違いなく時間が長く感じられる。


どこに差があるのか?
朝の2,3時間に差があるのだろう。
早朝は、誰からもメールや電話は来ない。
家にいたとしても、大して見るテレビもない。
電車だって、たいていは空いていて座って新聞や本を読む余裕がある。


対して、夜はどうだろう?
様々な誘惑がある。
深夜番組、友人などからのメールや電話、一日の疲れによってダラッとしてしまう時間・・・。
あっという間に時間は過ぎてしまう。


自分の生活習慣を正当化しているようだが、実際そうではないか?
「いやいや、毎日家に帰るのが23時や0時を過ぎる」と言う人もいるだろう。
だが、そういう人も家に帰ってからの行動を見なしてみると意外に無駄な時間が多いのではないだろうか?
その時間を朝に回してみる。30分でも1時間でも。
おそらく時間の濃さの違いを体感するだろう。


実際、自分自身、修論に真剣に取り組んだ9月10月以降、仕事の日も含めて23時よりも前に帰宅した日なんて数えるぐらい。
そのために、睡眠を削っていることがほとんどなのだが、それでも朝の30分や1時間、2時間の魅力を知って以来、睡眠時間が多少削られようと気にならない。


・・・とまぁ、早起きした日の清々しい気持ちを思わず綴ってみた。
かなり、意識の高い人間に移るが、実際はやはり妥協してしまうことも少なからずある。
でも、目指すところは上に書いたような生活習慣で毎日を送ることだ。


かと言って、今朝のように始発電車に乗るまでいくと、ちょっとやり過ぎ感は否めない。。。
しかし、始発もいいものですよ。
意外に、乗客もいるし。


今朝の発見は、山手線の外回り(高田馬場から乗車だから、池袋に向かう電車)は結構人が乗っているということ。
逆の新宿方面に向かう内回りはあまり乗っていない。
この差は?
朝帰りが多いということか?
まぁ、そんなことはどうでもいい。