資格

今日、大学院のスポーツビジネスマネジメント特論という授業で、“スポーツ指導者と指導者資格”というテーマを選択して、プレゼンをした。


そこで、今日は少し“資格”について考えていきたい。
特に、日本のスポーツにおける『監督・コーチ、トレーナー』について考えていきたい。
(かなり長くなりそうだ・・・)


まずは、コーチについて。
日本における公的な指導者資格は、1980年代後半から各省庁・大臣認定の資格制度として創設された。
その後、2002年の閣議決定を受けて、2005年3月末には制度廃止。
現在は、民間の事業者や協会が認定を行っている。


この指導者資格は、現在は主に日本体育協会と各競技団体が資格認定を行っている。
資格は大きく3つに分かれ、競技力向上指導者(コーチ)・地域スポーツ指導者(スポーツ指導員)・商業施設におけるスポーツ指導(教師)となる。
それぞれA〜C級があり、所定の講習を受け、認定試験をパスしたのち資格が与えられる。
後は、取得後の経験年数によりクラスが上がって行くといった流れだ。
対象となる競技は、ほとんどのメジャースポーツが該当し、陸上・サッカー・テニス・スキー・スケート・水泳・・・etc。


ここで、一つCheck Pointだ!
この中に野球(硬式野球)が含まれていないのだ。
日本の中で最も競技人口が多く、最もメジャースポーツとされる野球において、こういったコーチ制度は未だ未整備なのである。
これは、日本体育協会での資格制度に限らず、日本プロ野球機構、日本アマチュア野球連盟、高野連など、どこにも組織化された制度が見当たらない。
ここに、野球が閉鎖的で遅れを取っていると言われる要因が見出せる。
資格があるから、名監督・名指導者が育つかと問われれば、答えはどちらでもない。
しかし、最低限のコーチ資格制度など、情報交換の場があれば、もっと全体的な野球の競技力向上につながるのではないだろうか?
さらに、いくつかの高校で見られる指導者によるつまらない体罰などを未然に防ぐこともできるのではないか?
いずれにしても、野球の世界の不透明さはこういった点に起因している気がしてならない。


さて、話が脱線してしまった。
上記のような形で、指導者資格制度は“一応”存在している。
一応と言ったのは、果たしてだれだけの人がこの制度を認知しているのかという疑問からだ。


おそらく、(特に)学校スポーツにおけるチームの指導者に対する社会的なイメージは、コーチ=先生、コーチ=ボランティア のような認識があるのではないか。
つまり、コーチ資格を取得しても、コーチが一職業として(一部の人々を除いては)認知されていない現状がここにはあると思う。


しかし、一方でコーチ資格を整備していく動きも見られる。
その代表格がサッカーだ!
昨日の記事で、サッカーのフィジカル面の強化の必要性を訴えたが、殊コーチ制度に関してはおそらく最も進んでいるだろう。


サッカーのコーチ資格制度の大きな流れはこんな感じだ。

公認S級コーチ:日本サッカー協会

公認B級コーチ:日本サッカー協会日本体育協会

公認C級コーチ:日本サッカー協会日本体育協会

S級とB級の間に、準コーチなるA級に変わる資格があるようだが、大まかな流れは上のような感じだ。


サッカーにおいてプロチーム(Jリーグ)や代表レベルで指揮を執るには、公認S級コーチの資格が必要だ。
その下に、B級・C級がある。
トップチームを指導するための流れは、非常に明確である。
また、小学校やその他地域スポーツの指導員を務めるための資格も存在するようで、サッカー界が底上げを図ろうとしている施策がここに見られる。
やはり、いいコーチの下にいい選手が育つ。


ただ、先ほども述べたが、資格があるから名監督・名コーチといった図式は必ずしも成り立たない。
しかし、こういった資格制度の下、ある程度のレベルのコーチングのノウハウが全国の指導者に広まれば、そこでサッカーを習う選手はある程度の水準で指導を受けられる。
ここに、資格制度のメリットがあるだろう。
資格が万能である訳ではないが、資格制度を突き詰めて、しっかりと整備していけば、その世界の水準を底上げすることになるだろう。
サッカー界が今後、どの程度まで資格制度を整備していくか楽しみである。


この他にも、ラグビーやバスケットボールにおいても、コーチ資格制度は存在する。
日本代表の監督を務めるなら、それなりの資格を有する制度へと変わりつつあるようだ。



さて、ここまでが現状である。
皮肉にも、コーチ資格制度が組織化されつつあるサッカーがW杯に敗れ、コーチ資格のない野球がWBCで世界一になった。
これが、現実である。


実際、コーチングというものは試験のようなもので計れない要素が多分にある。
資格認定されたから、そのコーチに教われば間違いなく強くなるかと言えば、やはり否だ。
このあたりが、資格制度が今ひとつ整備されきれないネックとなっているのだろう。


しかし、それではコーチの社会的な地位がどうしても上がらない。
一部の名コーチと呼ばれる人は、プロのコーチとしてお金を得て、その他有資格・無資格に関われず、コーチとして名が上がらない人は無収入、もしくは微々たる収入となり、結局片手間のような形でコーチをしなくてはならなくなるのだ。
やはり、社会的な地位が認められるには、一職業として生活できるぐらいの収入が得られることが一つの条件になってくる。
お金の話ばかりすると嫌な顔をする人がいるが、本当のところはやはりそうだろう。
お金を得られないようでは、やはりそれは職業という分類には入らない。
いくら、高いスキルがあろうと、それはボランティアや趣味の域を抜けられないのだ。


そういった意味で、やはり一定の基準や規範が必要となる。
その一役を担うのが、資格制度なのではないかと私は思う。
有資格者への優遇。
それがなくては、結局は何でも誰でもありのボランティアの域を抜けない。
コーチ業を職業として成り立たせるための一手段。
それが、資格制度の整備だと思う。


ただ、もちろんコーチングというのは、ある程度の経験が必要である。
初期のコーチの卵の段階では、ボランティア的、もしくは低収入で我慢しなくてはならない時期はあるだろう。
それは、どの世界にでも共通してくる。
ただ、その先にお金を確実に得られる道があるかどうか。
そこは、大きな差になってくると思う。


職業としての“コーチ”について考えてみた。
やはり長くなってしまった。
最後まで読んでくれた方、ありがとう。
何か意見を下さい。


トレーナーについては、次回の記事で語ることにする。